性風俗の文化として成り立つのは平安末期、   (日本の性風俗の歴史)

性風俗の文化として成り立つのは平安末期、永い歴史の中で、性風俗に関しては平安時代の頃から、実際の文献も残っているようです。特に、古代との性行為と現代とを比較すると、その意識としては全く異なっているようで、例えば、神官に仕える巫女などは、性的な行為を行ってもらう事によって勤めを果たしているともいわれ、従って、男性側の立場や神の使いとしての考え方があり、それは神様との意思疎通を行えると言う真剣な意識が、前提としてあったとも言われています。しかし、平安期の末期になって世が動乱の時代に入るに従って、巫女さんが行っていたようなセックスは、宗教的な意味が薄れ、次第にに売春的な行為(当時、言葉は未だ無いが)というものが、男性相手の金銭を目的とした職業として成り立つ時代へと変遷していった時代でもありました。これが遊行する女婦という形になり、元より遊行女婦の名前の由来は、巫女さんが当時全国各地を巡っていたことにより、各地ではこれらの宿場や休息の場は遊郭という名が付く事になったともいわれ、同時に性風俗としての文化が成り立ってきたともされているのです。その後、平安期も末期に入ると、都やその周辺、主要な地方では相当数の宿婦、遊女のような人々が生活しており非常に栄えていたようです。この時期は既に農村などの貧しい地方から、勿論、女性達が売られており、女性は身を売る代償に布や食料を受け取っていたようです。
しかし、巫女や白拍子、遊女は当時は、未だ宗教的な意味も若干ではあるが残されており、都や各市での身を売る事で、男たちも彼女達と身を委ねることで心身の汚れを清める作用があると信じられていて、その手の女性は夫がいても罪悪感は無く、通りすがりの男達との性交・セックスを楽しんでいたそうです。